冨所龍人

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都忘れ

これぞ待ち望んだ「春」。
昨日から本当にすっきりとした気候にめぐまれている。
そんなに長くは続かないだろうが、一番良い季節を楽しみたいものだ。
庭の「都忘れ」という花が微風に揺れている。
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この花に興味を持ったのは「都忘れ」というネーミングがきっかけだった。
寂しげだが素敵な響きだ。
昔、都を追われた高貴なお方が佐渡に流罪となり、その際に「この花を見ていると、しばしでも都を忘れることができる」と言ったことからこの名が付けられたという説があるそうだ。

君子蘭は4鉢あるのだが、結局今年は1鉢しか咲かなかった。
植え替えも終わり、来年に期待したい。
「来春は頼むよ〜」
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|2013.05.24|

アントニオロペス展に行ってきました。

先日、アントニオロペス展に行ってきました。
東京に着いた日と次の日、計2回観覧しました。
重厚なリアリスム絵画でした。
印象的だったのは作品に残っている計測の跡、重ねられた絵の具のマチエールの状態。
それらが結果的には絵の中の空気の重さとなっているように思えました。
そこで感じられるのは「追求」という2文字。
作品を「見せよう」とか「魅せよう」とかしていないようにも感じられました。

色々と勉強になりました。
今でも色々と考えさせられております。

|2013.05.19|

奮闘中です

以前、アンダーペインティング途中段階の画像(部分)をアップしましたが、その続きです。
それともう一つ、別の作品画像(部分)です。
2枚とも、現在グレーズの2層目ほど。
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|2013.05.12|

美しい職人仕事「技」と「術」

30代後半のある夏、初めてイタリア旅行に行った。10日間ほど。
西洋美術史に大変詳しい友人に連れて行ってもらったのだ。
その友人には、ツアー旅行では難しいであろうワガママなスケジュールを組んでもらった。彼のおかげで思う存分楽しめたし、大変思い出深い旅行となった。心から感謝。
イタリアではどこを見ても何をみても「わくわくドキドキ」であったが、とりわけカラバッジオの迫力、ラファエロのやさしさに感動していた。ジオットも良かった。
カラバッジオの「病めるバッカス」という絵を見ていて、なんだか怖くなってきてその場にいることができなくなった思い出がある。こちらの感受性アンテナが敏感になりすぎていたせいだろうか?
私には霊能力は無いはずだと思うのだが、なんだかそういう意味の怖さだった気がする。
まあ、気のせいだろう・・・しかし、絵を見てこんな気分になったのは初めてだった。

そんな驚きと感動の日々の中で、最も私の心を惹き付けたのはハンスメムリンクだった。
イタリアで北方の画家に感動するとは・・・なんだか複雑な気がしたものだ。
その絵は男性の肖像画で、4〜6号くらいの小さな作品だったと記憶している。
肖像画なので特に深いメッセージや物語があるわけではない・・・と思う。
なのになぜ、こんなに惹き付けられたか?
古い絵なのに色が鮮やかで美しく、油絵の具独特の透明感が心地よい。
この感じは印刷物等の画像では感じることはできない。実物を見ないとわからないことだ。
絵の具の物質感を「目で触る」ということだろう。
その美しい透明感を保ちながら画面全体を精緻に描き切ってある。(北方の画家全般的に言えることではあるが)
その描き込みには強引ないやらしさはなく、柔らかく優しくも感じられた。
職人技による隙のない工芸品を見る感動に近いかもしれない。これはホルバインを見た時にも感じたものだ。
この時は絵の内容がどうこうの前に、その技に、「美しい職人仕事」にまず感動したのだった。
誤解の無いように書き添えておくが、さほど細密描写を必要としないマチエールの凹凸が効いた、重量感ある作品も好きである。画面に「ハリ」があり、パンチが効いているというか、ストレートな「強さ」を持っている。それらを操る「技」「術」に感動する。

「技」「術」を自分のものとするには、それなりに時間や経験などが必要だろうし、大変な思いもすることだろう。昔から長い時間積み重ねられてきた「技」、編み出されてきた「術」に私は魅せられる。敬意を持たずにはいられない。

こんなこと言ってると「上手けりゃ良いというものではないよ」とか「技術より表現が大事」とか、お叱りをいただきそうだ。
でも「わーすごい!」と、考える間もなく直ぐに伝わってくる「技」と「術」の凄さ、「美しい職人仕事」はやはり私の憧れである。

|2013.05.03|

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