30代後半のある夏、初めてイタリア旅行に行った。10日間ほど。
西洋美術史に大変詳しい友人に連れて行ってもらったのだ。
その友人には、ツアー旅行では難しいであろうワガママなスケジュールを組んでもらった。彼のおかげで思う存分楽しめたし、大変思い出深い旅行となった。心から感謝。
イタリアではどこを見ても何をみても「わくわくドキドキ」であったが、とりわけカラバッジオの迫力、ラファエロのやさしさに感動していた。ジオットも良かった。
カラバッジオの「病めるバッカス」という絵を見ていて、なんだか怖くなってきてその場にいることができなくなった思い出がある。こちらの感受性アンテナが敏感になりすぎていたせいだろうか?
私には霊能力は無いはずだと思うのだが、なんだかそういう意味の怖さだった気がする。
まあ、気のせいだろう・・・しかし、絵を見てこんな気分になったのは初めてだった。
そんな驚きと感動の日々の中で、最も私の心を惹き付けたのはハンスメムリンクだった。
イタリアで北方の画家に感動するとは・・・なんだか複雑な気がしたものだ。
その絵は男性の肖像画で、4〜6号くらいの小さな作品だったと記憶している。
肖像画なので特に深いメッセージや物語があるわけではない・・・と思う。
なのになぜ、こんなに惹き付けられたか?
古い絵なのに色が鮮やかで美しく、油絵の具独特の透明感が心地よい。
この感じは印刷物等の画像では感じることはできない。実物を見ないとわからないことだ。
絵の具の物質感を「目で触る」ということだろう。
その美しい透明感を保ちながら画面全体を精緻に描き切ってある。(北方の画家全般的に言えることではあるが)
その描き込みには強引ないやらしさはなく、柔らかく優しくも感じられた。
職人技による隙のない工芸品を見る感動に近いかもしれない。これはホルバインを見た時にも感じたものだ。
この時は絵の内容がどうこうの前に、その技に、「美しい職人仕事」にまず感動したのだった。
誤解の無いように書き添えておくが、さほど細密描写を必要としないマチエールの凹凸が効いた、重量感ある作品も好きである。画面に「ハリ」があり、パンチが効いているというか、ストレートな「強さ」を持っている。それらを操る「技」「術」に感動する。
「技」「術」を自分のものとするには、それなりに時間や経験などが必要だろうし、大変な思いもすることだろう。昔から長い時間積み重ねられてきた「技」、編み出されてきた「術」に私は魅せられる。敬意を持たずにはいられない。
こんなこと言ってると「上手けりゃ良いというものではないよ」とか「技術より表現が大事」とか、お叱りをいただきそうだ。
でも「わーすごい!」と、考える間もなく直ぐに伝わってくる「技」と「術」の凄さ、「美しい職人仕事」はやはり私の憧れである。